皆さんは「昭和の少女漫画」と聞くと、どんな作品を思い浮かべますか?
フランス革命をドラマチックに描いた、池田理代子先生の『ガラスの仮面』や、主人公の超人的な芝居の描写が話題を呼んだ、美内すずえ先生の『ガラスの仮面』などは有名だと思います。
今日ご紹介する『トーマの心臓』を描いた萩尾望都先生は、『風と木の詩』の竹宮惠子先生や『日出処の天子』の大島弓子先生などと一緒に「花の24年組」と呼ばれ、少女漫画史の一時代を築いた漫画家です。もともと熱烈な長年のファンを多く持つ萩尾先生でしたが、代表作である『ポーの一族』の連載が2016年に40年ぶりに再開されたり、同作が宝塚歌劇で上演されたりしたことで、ますます注目を浴びる機会が増えました。
『トーマの心臓』は、「週刊少女コミック」という雑誌の、1974年19号から52号に連載されました。
今ではにわかには信じがたいですが、『トーマの心臓』は第1話が掲載されたときは読者アンケートで最下位となり、打ち切りの危機にあったそうです。しかし、その後に発売された『ポーの一族』の単行本が異例のヒットとなり、『トーマの心臓』の人気も次第に上昇したそうです。
『トーマの心臓』は「優しい愛情に触れたい方」におすすめ!
私は萩尾先生の作品を読んでいると、繊細な心を持った人の描写に長けた方だなと感じます。『トーマの心臓』もその例に漏れず、読んでいると、「どうして萩尾先生は当時20代半ばという若さでこれだけ深みのある感情が描けたのだろう」と思わずにはいられません。
初めて『トーマの心臓』を読んだ中学時代は、ヨーロッパの寄宿舎で暮らす少年たちの耽美な雰囲気に酔いしれましたが、歳を重ね、人間関係におけるさまざまな苦悩を経験してから改めて読んでみると、中学当時憧れた作品設定よりも、この作品全体を通して描かれる「無償の愛」に心を打たれるのです。
恋愛や人間関係に疲れてしまった方や、優しい愛情に触れたい方に、ぜひ『トーマの心臓』をおすすめしたいです。ぜひ一緒に、萩尾先生の繊細で文学的な世界に飛び込んでみませんか?
あらすじ
前置きが長くなってしまいましたが、『トーマの心臓』のあらすじを紹介したいと思います。
「ぼくは ほぼ半年のあいだずっと考え続けていた
ぼくの生と死と それからひとりの友人について(中略)
ぼくが彼を愛したことが問題なのじゃない
彼がぼくを愛さねばならないのだ
どうしても」
物語は、シュロッターベッツ高等中学中の人気者だった、トーマ・ヴェルナーが死んだ冬の終わりから始まります。雪で足を取られて陸橋から落ちた事故死だと噂されていましたが、ユーリのもとへトーマからの手紙が届いたことで、ユーリとその友人であるオスカーは、事故ではなく自殺であることに気づきます。
トーマは生前に、アンテという同級生と、どちらが早くユーリを落とすことができるかという「茶番劇」をしていました。そして、ユーリが大勢の生徒の前でこっぴどく振ったことも有名な話でした。トーマの死から数日後、ユーリはトーマからの手紙を彼の墓の前で破き、トーマの死に支配されまいと誓います。
時を同じくして、エーリクという少年がシュロッターベッツに転入してきます。偶然にも、エーリクは誰が見ても驚くほどトーマと瓜二つだったので、シュロッターベッツは大騒ぎになりました。
トーマのことを忘れようとしているにも関わらず、トーマにそっくりなエーリクがいるせいで忘れることができないユーリ。そのフラストレーションは次第にエーリクへの憎悪にさえ変わっていきます。
トーマはなぜユーリのために死んだのでしょうか。そして、ユーリやエーリク、オスカーといった、少年たちがそれぞれ抱える心の傷は果たして癒えるのでしょうか。
「ギムナジウム×キリスト教」という作品テーマ
『トーマの心臓』が連載された昭和の時代、少女たちの間では、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画『ベニスに死す』に登場する「タッジオ(本名ビョルン・アンドレセン)」や、ウィーン少年合唱団など、「ヨーロッパ」や「少年」に対する憧れが強くありました。
今ほど漫画のジャンルが多様でなかった当時、少女が読める漫画の主人公は、王子様を待つお姫様のような女の子ばかりでした。また、現実の世界においては、少女たちに対して今以上に「お姫様」たることが求められていた時代だろうと思います。
そんな中、「男性」でも「少女」でもない「少年」は、物語の中で自由でした。少女たちと違って自由でありながら、少女たちと同じように繊細に心が揺れ動く「少年」を描いた『トーマの心臓』は一大人気を博したのです。もちろん女性ファンだけでなく、隠れ男性ファンも多くいたと聞きます。
このような時代背景において、ドイツの全寮制の中等教育期間(日本でいう中高一貫校にあたります)である「ギムナジウム」は、「ヨーロッパ」に対する憧れも「少年」に対する憧れも同時に満たしてくれる格好のテーマであったと言えるでしょう。
ちなみに、萩尾先生によると、『トーマの心臓』の舞台はドイツですが、1964年にフランスで公開された映画『悲しみの天使』をモチーフとしているそうです。こちらの映画を見ると、ヨーロッパのギムナジウムでの生活のイメージをより膨らませていただけると思います。
また、『トーマの心臓』の深みをさらに味わうためには、この物語のモチーフになっている、キリスト教の聖書のエピソードを知っておくと良いです。キリスト教が絡んでくるという点では、『新世紀エヴァンゲリオン』のファンの方は特にハマるかもしれません。
イエス・キリストには12人の弟子がおり、そのうちの1人であるユダが裏切ったことで、イエスが十字架にかけられた、という話は有名だと思います。実は、イエスはユダが裏切ることを事前に分かっていたのです。イエスは、自分が殺されることを知っていながら、ユダに「おまえはいってすべきことをすればいい(『トーマの心臓』より引用)」と言います。
なぜイエスはユダの裏切りを知っていながらユダを行かせたのか? この問いが「なぜトーマは死んだのか?」というユーリの疑問と重ねられ、『トーマの心臓』の作中でも重要になります。
罪悪感に苦悩するユーリと、ユーリを見守る仲間たちの深い愛情
『トーマの心臓』を読んでいる最初のうちは、ユーリがトーマのアプローチをこっぴどく振る様子や、同級生を馬鹿にしたような態度でいなす様子を見ていて、ユーリに腹が立ってくるかもしれません。「ユーリはなんて冷たいやつなんだ」と、どんなときもユーリのそばに寄り添っているオスカーに同情したくなるかもしれません。しかし、話を読み進めていくと、ユーリが本来は優しくて温かな人であったにも関わらず、とある出来事がきっかけで心を閉ざしてしまったということが分かります。ユーリも心の底からトーマが嫌いだったからこっぴどく振ったのではなく、トーマの愛情を受け取る資格が自分にはないと思って拒絶していたのです。ユーリの根底には、幼少期からのとある理由による、「『いい子』でありたい」という強い思いがありました。「いい子」でありたいと人一倍思っていたにも関わらず、とある出来事に関して罪を犯してしまったユーリは、それ以降ずっと罪悪感に押しつぶされそうになっていたのでした。
ユーリのことをずっとそばで見てきたオスカーは、ユーリの罪悪感の原因を実は知っていました。しかし、ユーリの方から心を開いてくれるまで待とうと決め、何も言わずにずっとユーリに寄り添っていました。
一方、エーリクはある意味オスカーとは対照的な方法でユーリにアプローチします。初めはユーリから殺意に近い憎悪を向けられていたので、エーリクもユーリのことを憎んでいました。しかし、お互いの心の弱い部分に触れ合うことで、少しずつユーリが抱える辛さの存在に気づいていきます。エーリクはオスカーやトーマのように思慮深いタイプではなかったので、ユーリの辛さの本質がはっきりとは分からないうちからユーリに対して体当たりでぶつかっていきます。ユーリにとってエーリクは、顔がトーマに似ていたためにただでさえ感情をかき乱す存在だったのに、さらには無遠慮に切り込んでくる性格だったので、ユーリは何度も冷静沈着の仮面をエーリクに剥がされ、怒りをあらわにします。しかし、それらがきっかけとなって、ユーリの閉ざされた心は少しずつ開かれていきます。また、思考を放棄したトーマの死因についても、ユーリはエーリクによって気付かされていきます。
このように、ユーリの不器用な愛、オスカーの懐の広い愛、エーリクのまっすぐな愛、トーマの超人的な無償の愛が交差し、愛しさと切なさ溢れる物語の展開になっています。
また、ここには書ききれませんが、主人公たちの家族構成が詳細に描かれているのも『トーマの心臓』の特徴の1つだと思います。彼らの保護者たちが自分の息子たちに向ける愛情にもホロリときます。
『トーマの心臓』おすすめです!
私にとって『トーマの心臓』は、自分の価値観形成に関わっていると思うくらい大切な作品です。「読書体験」という言い回しがありますが、『トーマの心臓』は、どんな読者に対しても、多かれ少なかれ強烈な「体験」を与える作品だと言えるでしょう。
最近はSNSで流れてくる短編漫画を読んだり、漫画アプリで多くの作品を「こなす」ように読んだりすることが増え、『トーマの心臓』のような重厚な作品にどっぷりと浸かる機会が減ってしまいました。しかし、しっかりと時間をとってユーリたちの物語を改めて読むと、彼らのまっすぐな愛情に心が洗われるような感覚さえ湧いてくるのです。冒頭でも書きましたが、恋愛や人間関係に疲れてしまった方や、優しい愛情に触れたい方に『トーマの心臓』をぜひ読んでほしいと思うのは、このためです。
『トーマの心臓』を読むという「体験」を、1人でも多くの方と共有できればと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました!
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